鼻腔共鳴って本当にあるの?「鼻に響かせる」の正体を物理シミュレーションで検証

ボイストレーニングのレッスンや教則本で、一度は耳にする「鼻腔共鳴(びくうきょうめい)」という言葉。

「声を鼻腔に響かせて!」「鼻の奥に声を集めるイメージで!」と言われると、文字通り「喉の奥(軟口蓋)を開けて、鼻の空間に息や声を通して響かせるんだな」と思いますよね。

ところが、いざ言われた通りに鼻へ息を通しながら歌ってみると、なんだかモコモコとこもった「鼻声」になってしまい、思い描いていたようなスコーンと抜ける明るい声にはならない……そんな経験はないでしょうか。

結論から言うと、私たちが「鼻腔共鳴」と聞いてイメージする華やかで通る声は、本当に鼻腔へ息を通して鳴らしている音ではありません。多くの場合、「鼻腔共鳴」とは口や喉でしっかり共鳴した声の振動が、鼻の周りや顔の前面にビリビリと伝わってくる体感を指した「感覚的な指導用語」なのです。

この記事では、音声科学の論文とコンピューターによる物理シミュレーションを使って、次の 3 つのステップで「鼻腔共鳴」の謎を解き明かしていきます。

  1. 軟口蓋を下げて本当に鼻へ息を通すと、どんな音・倍音構造になるのか?
  2. 鼻に息を通していないのに、なぜ鼻の周りがビリビリ震え、明るい声が出るのか?
  3. 実際の歌手の研究論文では、鼻に空気が通るケースはどう報告されているのか?

まず試してみよう:鼻をつまんで確かめる 2 つの実験

詳しい仕組みに入る前に、自分の体ですぐに確かめられる簡単な実験を 2 つやってみましょう。

実験 1:本当に鼻へ息を通した「アー」

まず、口を閉じて「ンー」とハミングをします。このとき、喉の奥にあるやわらかいふた(軟口蓋:なんこうがい)が下がり、息は 100% 鼻から出ています。

次に、その「鼻に息が抜けている感覚」をキープしたまま口を開けて、「ンァー」と鼻にかかった「アー」を出してみてください。そのまま声を出している途中で、指で鼻の穴をキュッとつまんだり離したりしてみましょう。

鼻をつまんだ瞬間に「フガッ」と音色が大きく変わり、そもそも最初から少しこもったような「鼻声」に聞こえるはずです。これが、文字通り鼻腔に息を通したときの音(鼻音化)です。

実験 2:前にスコーンと抜ける明るい「アー」

今度は、ボイトレでよく「鼻腔に響いている!」と褒められるような、上の前歯の裏から鼻筋のあたり(いわゆるマスクと呼ばれるエリア)にビリビリと響きを感じる、明るくハリのある「アー」を出してみましょう。

その声をキープしたまま、さっきと同じように指で鼻をつまんだり離したりしてみてください。

いかがでしょうか。鼻筋のあたりはビリビリ震えているのに、鼻をつまんでも離しても、声の音色がほとんど変わらないことに気づくはずです。もし本当に鼻腔へ空気を通して共鳴させているのなら、出口である鼻の穴をふさいだら音が変わらないとおかしいですよね。つまり、「鼻の周りが響いている感覚があるとき」でも、実際には鼻から空気はほとんど出ていないのです。

シミュレーション音声で聞き比べる

では、声帯を動かす筋活動と肺側から与える圧力の設定をそろえて、「軟口蓋を上げて鼻への通り道を閉じたとき」と「軟口蓋を下げて鼻へ息を通したとき」を比較すると、音はどう変わるのでしょうか。コンピューターの物理シミュレーションで作った母音「ア」(高さ約 177 Hz=F3 付近)で聞き比べてみましょう。

※違いがわかりやすいように、あえて音量ノーマライズ(自動音量そろえ)をせず、同じ肺の圧力(0.8 kPa)から出たそのままの音量比で書き出しています。

2 つ目の「軟口蓋を下げて鼻に息を通した『ア』」を聞くと、華やかに響くどころか、音量がガクッと小さくなり(計算上は約 8.6 dB 低下)、モコモコとくぐもった鼻声になってしまいました。「鼻腔という空間がプラスされるんだから、共鳴が増えて音が大きくなるのでは?」と思っていた方にとっては、かなり意外な結果ではないでしょうか。

軟口蓋を下げて鼻に息を通すと、なぜ音がこもるのか?

なぜ鼻に息を通すと、音が大きくなるどころか小さくこもってしまうのでしょうか。まずは頭を真ん中で縦に割った断面図で、口と鼻の通り道がどうつながっているかを見てみましょう。

母音「ア」を発声するときの頭部の正中断面図。左(Soft palate raised)は軟口蓋が上がって喉の奥の壁に触れ、鼻腔への通り道が閉じて口だけに空気が通っている状態。右(Soft palate lowered)は軟口蓋が下がり、咽頭から口腔と鼻腔の 2 つのルートに空気が分岐している状態。

口の上あごの天井を舌先で前のほうから奥へなぞっていくと、前側はカチカチの骨(硬口蓋:こうこうがい)ですが、奥へ行くにつれてプニプニとやわらかい筋肉の壁に変わります。これが軟口蓋(なんこうがい)です。

左の図のように、私たちが「マ行・ナ行・ン」以外の普通の母音を出しているとき、軟口蓋はキュッと持ち上がって喉の奥の壁にピタッと触れ、鼻への通り道(咽頭鼻腔ポート)を閉じています。一方、右の図のように軟口蓋を下げると、喉の途中(声帯から約 8.5 cm 上)で道が二股に分かれ、口と鼻の両方に空気が流れるようになります。

このとき鼻腔が「優れた拡声器」にならないのには、大きく 2 つの物理的な理由があります。

理由 1:鼻の中は「吸音材」だらけの迷路になっている

鼻腔の本来の仕事は、吸い込んだ空気を温め、加湿し、ホコリやゴミを絡め取ることです。そのため鼻の穴の奥は、空き瓶のようなツルッとした空洞にはなっていません。

鼻腔の中には鼻甲介(びこうかい)と呼ばれる薄い骨のひだが 3 段にわたって渦巻き状に張り出しており、その表面は毛細血管が密集したフカフカの粘膜で覆われています。同じ断面積の丸いパイプと比べると、鼻腔の壁の表面積は約 4 倍にも達します(Bjuggren & Fant 1964; Dang, Honda & Suzuki 1994)。

音を響かせるという視点で見ると、これは「壁一面に分厚いカーペットや吸音スポンジを貼りめぐらせた細長い迷路」に声を通すようなものです。声のエネルギーは壁との摩擦や熱、やわらかい粘膜の振動としてどんどん吸い取られ、共鳴の山(フォルマント)が丸くつぶれてしまいます。

理由 2:二股に分かれることで「音の打ち消し合い(反共鳴)」が起きる

もうひとつの、さらに大きな理由が反共鳴(アンチフォルマント)と呼ばれる現象です。

軟口蓋を下げて声の通り道が「口」と「鼻」の二股に分かれると、さらに鼻の奥にある副鼻腔(上顎洞・前頭洞・蝶形洞などの小さな空洞)も、左右それぞれの鼻の通り道に横枝としてぶら下がります。すると特定の高さの周波数で、分岐した鼻腔側が音のエネルギーを吸い込んでしまったり、口から出る音波と鼻から出る音波のタイミング(位相)が逆になってお互いを打ち消し合ったりする現象が起きます(Fant 1960; Stevens 1998; Havel ら 2023)。

実際にシミュレーションで、声道がどの周波数をどれくらい増幅するか(伝達関数)を計算して比べたのが次のグラフです。

母音「ア」で軟口蓋を閉じたとき(青線)と、軟口蓋を下げて鼻腔を開いたとき(緑線)の声道の周波数応答を比較したグラフ。青線では 700 Hz(F1)、960 Hz(F2)、3000 Hz(F3)に鋭い共鳴の山があるが、緑線では F1 が約 11 dB 低くなり、F2 の手前の 920 Hz 付近と 2980 Hz 付近に深い反共鳴の谷(Antiformant dip)ができて音が大きく削られている。2000 Hz 付近にも小さな谷がある。

青い線(軟口蓋を閉じた通常の「ア」)では、約 700 Hz の F1(第 1 フォルマント)と約 960 Hz の F2(第 2 フォルマント)に、力強い 2 つの山がそびえ立っています。母音「ア」らしい明るく開いた音色は、この F1 と F2 の山によって作られています。

ところが、軟口蓋を下げて鼻の通り道を開いた緑の線(`Velum open`)を見てください。F1 の山が約 11 dB も低くなっているだけでなく、F2 の手前の 920 Hz 付近に、マイナス方向へ落ち込む深い谷(`Antiformant dip`:反共鳴の谷)がぽっかりと口を開けて、F2 の山を削っています。さらに、声の明るさや抜け感に関わる 3000 Hz 付近(F3)にも深い打ち消しの谷ができています(2000 Hz 付近の小さな谷は、左右の鼻の通り道の太さの違いによるものです)。

この結果、先ほど聞いた 2 つのシミュレーション音声に含まれる倍音(ばいおん)がどう変わったのか、1 本ずつの倍音の強さを並べて見てみましょう。

シミュレーション音声の倍音スペクトルを、軟口蓋を閉じた「ア」(左)と軟口蓋を開いた鼻音化の「ア」(右)で比較した図。左では 700〜900 Hz 付近の倍音が力強く伸び、3000 Hz 付近の倍音もしっかり出ているが、右では一番強かった 890 Hz 付近の倍音が約 16 dB 落ちて F1・F2 の山が平らになり、3000 Hz 付近の倍音も約 22 dB 削られている。

左の「軟口蓋を閉じた『ア』」では、700〜900 Hz の倍音(`Strong F1-F2 peak`)が高く伸び、3000 Hz 付近(`3 kHz overtones`)にも元気な倍音の山があります。

一方、右の「軟口蓋を開いた『ア』」では、一番強かった 890 Hz 付近の倍音が反共鳴の谷で約 16 dB も削り取られて F1・F2 の山が平らになり(`F1-F2 peak flattened`)、3000 Hz 付近の倍音(`3 kHz damped`)もほぼ消えかかっています。軟口蓋を下げて鼻に息を通すと、声のパワーの源である F1・F2 の倍音と、きらびやかさを作る 3000 Hz 付近の倍音の両方が削られてしまうため、想像していた「鼻腔共鳴」とは似ても似つかない、こもった鼻声になってしまうのです。

※倍音やスペクトルの見方について詳しく知りたい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。

音の物理の基礎

では「鼻腔共鳴」の正体とは?——口と喉の共鳴が鼻の周りに伝わる感覚

ここまで読んで、「でも、上手な歌手が歌うと、本当に鼻筋や頬のあたりがビリビリ震えるし、すごく明るくて通る声が出るよね? あれは一体何なの?」と疑問が湧いてきますよね。

ここには 「なぜ鼻の周りが震えて感じるのか(体感の仕組み)」 と 「なぜ明るく通る声になるのか(音響の仕組み)」 という 2 つのタネ明かしがあります。

1. 口の天井は、そのまま「鼻の床」になっている

もう一度、先ほどの頭の断面図を思い出してみてください。口の中の天井である硬口蓋(上あごの骨)と軟口蓋のすぐ上には、何があるでしょうか? そう、すぐ上がそのまま鼻腔の床になっています。口と鼻を隔てている壁は、わずか数ミリの薄い骨と粘膜・筋肉しかありません。

軟口蓋をピタッと閉じて、口と咽頭(喉)の空間で声をしっかり共鳴させると、口の中の空気の圧力(音圧)が非常に高くなります。すると、空気の通り道は閉じていても、口の中の強い音圧が天井(硬口蓋・軟口蓋)を下から直接叩いて振動させ、その振動が骨や軟組織を伝わって鼻腔の空気や鼻の骨をビリビリと揺らすのです。

音声科学ではこれを経口蓋・経軟口蓋結合(transvelar nasal coupling)と呼びます。音声研究者の Dang と Honda(1996)の実測とモデル計算でも、軟口蓋が完全に閉鎖して鼻から息が一切漏れていなくても、とくに F1(500〜800 Hz 付近)の強い口内音圧によって軟口蓋・硬口蓋が振動し、鼻腔側に振動が生じること(一方で 2000 Hz 以上の高い周波数では軟口蓋の重さで振動が遮断されること)が示されています。

たとえるなら、1 階の部屋でドアや窓を閉め切って大音量のスピーカーを鳴らしたとき、空気は漏れていないのに、天井越しに 2 階の床がビリビリ震えるのと同じ現象です。「2 階の床(=鼻の周り)が震えている!」というのは、1 階(=口と喉)でしっかり音が鳴っている結果として起きる体感のバロメーターであって、2 階のドア(=軟口蓋)を開け放って空気を送り込んでいるわけではないのです(Sundberg 1992; Wooldridge 1956)。

2. 「鼻腔共鳴っぽい明るい声」を作っているのは、実は喉の出口(喉頭蓋管)

では、多くの人が「これぞ鼻腔共鳴!」とイメージする、前にスコーンと飛ぶ明るくキラキラした声は、どこで作られているのでしょうか?

その主役は、鼻ではなく、声帯のすぐ上にある「喉頭蓋管(こうとうがいかん:epilarynx tube)」と呼ばれるわずか 2〜3 cm の細い管と、咽頭・口腔の形です(Sundberg 1974; Titze & Story 1997; Titze 2001)。

軟口蓋をしっかり閉じたまま、この喉頭蓋管をキュッと適度に狭めると、声道の共鳴に 2 つの劇的な変化が起きます。

  • 2500〜3500 Hz の倍音が 10 dB 以上ブーストされる:人間の耳が最も敏感にキャッチしやすい 3000 Hz 前後の周波数帯(いわゆる「歌手のフォルマント」や「リング」と呼ばれる帯域)の共鳴が一点に集まり、伴奏の中でも埋もれず前に抜ける明るい音色になります。
  • 声道の空気が声帯を強く後押しする:別記事『「イ」「ウ」で高い音が苦しいのはなぜ?』でも解説した、声道の空気の慣性による「追い風(イナータンス)」が強まり、少ない力みで声帯がパシッと閉じて、倍音そのものが豊かに生まれるようになります。

これをシミュレーションで計算して比べたのが次のグラフです。

声道の周波数応答を 3 つの条件で比較したグラフ。茶色(Bright oral)は軟口蓋を閉じたまま喉頭蓋管を狭めた状態で、青い標準の「ア」(Standard oral)に比べて 2500〜3500 Hz の帯域が +12 dB 以上強まっている。一方、同じ状態から軟口蓋を下げて鼻を開いた緑の破線(Bright + velum open)では、F1・F2 と 3000 Hz 付近に深い反共鳴の谷ができている。

茶色の線(`Bright oral (closed)`)を見てください。鼻への通り道は完全に閉じたまま、喉の出口(喉頭蓋管)を狭めただけで、2500〜3500 Hz の帯域(茶色の帯)が通常の「ア」(青線)より +12 dB 以上も跳ね上がっています。しかも F1・F2 の山もさらに高くなるため、口の中の音圧が強まり、結果として口の天井(硬口蓋・鼻の床)をビリビリ震わせる体感も強くなります。

逆に、この状態から「もっと鼻に響かせよう!」と思って軟口蓋を下げて鼻を開いてしまうと、緑の破線(`Bright + velum open`)のようにせっかくの共鳴が反共鳴の谷で削られてしまいます。実際のシミュレーション音声でも聞き比べてみましょう。

音声 3 を聞くと、鼻には一滴も空気を通していないのに、音声 1 よりもずっと明るく、前にパーンと飛んでくる「鼻腔共鳴のイメージそのもの」のような声に聞こえますよね(同じ肺圧でも音量は通常の「ア」より +8.5 dB 大きくなっています)。

そして音声 4 のように、そこから本当に軟口蓋を下げて鼻へ息を通すと、音量が 5.4 dB 下がり、芯がぼやけた鼻声に戻ってしまいます。つまり、私たちが目指したい「鼻に抜けるような明るい響き」の正体は、「鼻への通り道を閉じた状態で、喉と口の共鳴(2.5〜3.5 kHz の倍音と強い F1)を引き出し、それが結果として鼻の周りにビリビリ伝わっている状態」なのです。

論文ではどう言われている?——鼻に空気が通るケースはあるがメジャーではない

ここで、さらに踏み込んで音声科学の論文を見てみましょう。「じゃあ、プロの歌手が歌っているときは、どんなときでも 100% 全員、軟口蓋が完全に閉まりきっているの?」というと、実は「わずかに鼻へ空気が通っている事例」も論文で報告されています。

内視鏡や MRI、ナゾメーター(鼻から出る音の割合を測る装置)を使った近年の研究を整理すると、次の 3 つの事実がわかっています。

1. メジャーパターン(とくに高音域)は「軟口蓋のしっかりした閉鎖」

まず大前提として、音程が高くなるにつれて軟口蓋はより強く引き上げられ、高音域では軟口蓋が完全に閉じているのがメジャーパターンです。クラシック歌手の軟口蓋の動きを観察した Jennings & Kuehn(2008)や、プロのテノール歌手 12 名が換声点をまたいで歌う様子を動的 MRI で撮影した Echternach ら(2021)の研究でも、高音へ向かうほど軟口蓋の閉鎖が強まり、咽頭鼻腔ポートはしっかりと閉じていることが確認されています。

2. 一部の歌手や中低音・特定のスタイルでは「ピンホール状のわずかな隙間」が開くことがある

一方で、プロのオペラ歌手でも中低音域や換声点の手前などで、軟口蓋の奥に針の穴(ピンホール)のようなごく小さな隙間が開いているケースがあることも報告されています(Austin 1997; Birch ら 2002; Sundberg ら 2007)。また、ポップスやカントリー、ミュージカルの特定のスタイル、あるいはフランス語のように鼻母音を持つ言語の歌唱では、音色の味付けとして意図的に少し軟口蓋を緩めることもあります。

3. ただし、その小さな隙間の役割も「鼻で音を増幅すること」ではない!

ここが一番重要なポイントです。「やっぱりプロでも少し鼻を開けている人がいるなら、鼻で共鳴させているんじゃないの?」と思うかもしれませんが、音響モデルと CT データでこの「わずかな隙間」の働きを検証した研究(Sundberg ら 2007; Vampola ら 2020; Havel ら 2023)は、まったく逆の結論を出しています。

軟口蓋の隙間(咽頭鼻腔ポートの断面積)を 0 cm²(完全閉鎖)から少しずつ広げていったとき、F1(約 700 Hz)、F2(約 960 Hz)、そして声の輝きを作る F3(約 3000 Hz)の強さがどう変化するかをシミュレーションしたグラフを見てみましょう。

軟口蓋の隙間の面積(横軸 Velopharyngeal port area、0〜1.5 cm²)に対して、F1・F2・F3 の山の高さが完全閉鎖時から何 dB 変化するか(縦軸)を計算したグラフ。左端の Tiny port(0.05〜0.18 cm² ほどの小さな隙間)では F3(茶線)は 1〜2 dB しか落ちず、F1(青線)と F2(緑線)が 2〜5 dB ほど穏やかに下がるが、隙間が 0.5 cm² 以上に広がると F1・F2 は 8〜19 dB、F3 も 3〜8 dB 減衰する。

左端の色付きのゾーン(`Tiny port`:0.05〜0.18 cm² ほどのほんのわずかな隙間)に注目してください。このくらいのピンホール状の隙間が開いたとき、3000 Hz 付近の山(茶色の線 `F3`)は 1〜2 dB しか落ちないまま、F1(青線)が 2〜4 dB ほど適度に抑えられます(F2 も同じくらい下がります)。

これには 2 つのメリットがあると考えられています。1 つは、低〜中音域で F1 の音が強くなりすぎて 3000 Hz 付近のきらびやかな倍音をかき消してしまうのを防ぎ、相対的に声をスッキリ明るく聴かせる効果(Sundberg ら 2007; Vampola ら 2020)。もう 1 つは、換声点付近で強すぎる F1 の共鳴を少しだけマイルドにして、声帯の振動が乱れるのを防ぐ「ショックアブソーバー(緩衝材)」のような効果です。

しかし、そこから「鼻に息を通そう!」と意識して軟口蓋を大きく下げてしまい、隙間が 0.5 cm²、1.0 cm² と広がっていく(グラフの右側へ行く)と、F1・F2 は 8〜19 dB、F3 も 3〜8 dB 崩れ落ち、ただの鼻声になってしまいます。つまり、論文で見られる「ごくわずかな隙間」も、鼻で音を増幅しているのではなく、「F1 をほんの少し減衰させる調整弁」として働いているにすぎないのです。

練習のヒント

ここまでの仕組みを踏まえると、普段のボイストレーニングで「鼻腔共鳴」という言葉に出会ったときに、どう解釈して練習すればいいかがスッキリ整理できます。

1. 「鼻つまみチェック」で、鼻抜けになっていないか確認する

記事の冒頭で紹介した「鼻つまみチェック」は、プロの現場でも使われる一番確実なセルフチェック法です。

  • 「マ・ナ・ン」を含まない普通の母音(ア・イ・ウ・エ・オ)でロングトーンを出す
  • 声を出したまま、指で鼻をつまんだり離したりする
  • 音色や響きがほとんど変わらなければ OK(軟口蓋がしっかり閉じて、口と喉で共鳴できている)
  • つまんだ瞬間に「フガッ」と音が変わったり詰まったりするなら、軟口蓋が下がって鼻に息が漏れているサイン

特に「鼻腔に響かせよう」と意識しすぎて知らず知らずのうちに鼻抜け声になっている方は、まずこのチェックで「鼻をつまんでも変わらないのに、よく通る声」を探してみてください。

2. ハミング(「ンー」)は「振動のセンサー」として使い、母音で軟口蓋を上げる

「じゃあ、ボイトレでよくやるハミング(鼻歌の『ンー』)は無意味なの?」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。ハミングには明確な目的があります。

口を閉じて「ンー」とハミングをすると、息が鼻を通るため、誰でも簡単に「鼻の周りや唇がビリビリ震える感覚」を体験できます。また、唇を閉じて出口を狭くすることで、リップロールと同じように声帯への「追い風(イナータンス)」が生まれ、喉の力みを抜いて声帯をラクに鳴らすウォーミングアップになります。

大事なのは、ハミングから母音(「ンー → アー」)へ切り替える瞬間です。ハミングでつかんだ「ラクに声帯が鳴って、顔の前面がビリビリする場所」のイメージだけを残しつつ、口を開けて「アー」に移った瞬間には軟口蓋をスッと上げて、鼻をつまんでも音が変わらない「口と喉の共鳴」へバトンタッチさせましょう。

下降ハミング

3. 「鼻に息を入れる」ではなく、「上の前歯の裏(硬口蓋)に当てる」イメージにする

歌っているときに「鼻の奥へ息を送り込む」とイメージすると、どうしても軟口蓋が下がりやすくなります。その代わりに、「口の中の天井の前側(上の前歯のすぐ裏にある硬口蓋)に向かって声を当てる」というイメージに変えてみてください。

上の前歯の裏(硬口蓋)は、すぐ裏側が鼻腔の床にあたります。ここに向かって口の中で声を響かせようとすると、軟口蓋は閉じたまま、口の中の音圧で鼻の周りが心地よく震える「理想的なマスクの響き」に入りやすくなります。

また、シミュレーション音声 3 で聞いたような「2500〜3500 Hz の明るい倍音(喉頭蓋管の絞り)」を引き出すには、少し生意気な子どもや魔女のような明るい声色で「ネイ(Nay)」や「ミャー(Mya)」と発音する練習も効果的です。最初は少し極端に明るい音色で感覚をつかみ、鼻をつまんでも音が変わらないことを確認してから、徐々に自然な歌声に馴染ませてみてください。

「イ」「ウ」で高い音が苦しいのはなぜ?母音と高音の出しやすさの関係歌声の生成の仕組み

本記事のポイント

  • 軟口蓋を下げて本当に鼻腔へ息を通すと、鼻甲介の広い粘膜による音の吸収と、口・鼻の二股分岐による「反共鳴(音の打ち消し合い)」が起き、音量が下がってこもった鼻声になる
  • ボイトレで言われる「鼻腔共鳴」とは、多くの場合「口や喉で強く共鳴した声の圧力が、口の天井(硬口蓋・軟口蓋)を振動させて鼻の周りに伝わる体感」を指す感覚的な指導用語である
  • 私たちが「鼻腔共鳴」と聞いてイメージする前に抜ける明るい声は、軟口蓋を閉じたまま喉の出口(喉頭蓋管)や口腔の形を整え、2500〜3500 Hz 付近の倍音を強めることで作られる
  • 研究論文では一部の歌手や中低音域でピンホール状のわずかな隙間が開く事例も報告されているが、高音域をはじめとするメジャーパターンは軟口蓋の閉鎖であり、わずかな隙間が開く場合も「鼻で音を増幅する」のではなく「F1 を少し抑えてバランスをとる」働きをしている

シミュレーションについて

本記事で使用したシミュレーション音声およびグラフの計算は、Voick Voice Simulator v1.0 の鼻腔分岐モデルおよび経軟口蓋結合モデルを用いて行いました。

シミュレーションで使用した声道(咽頭・口腔)と鼻腔ブランチの断面積を、声門からの距離(横軸、cm)ごとに示したグラフ。声門から 8.5 cm(Velum)の位置で鼻腔が分岐し、約 2 cm の上咽頭のあと右(緑の実線)と左(ピンクの破線)の鼻の通り道に分かれ、中ほどの鼻甲介領域(Nasal turbinates)で広がったあと、外鼻孔(Nostrils、左右それぞれ約 0.25 cm²)で絞られる。鼻甲介のところでは右が左より太い(右 60 %・左 40 %)。声門から 2.5 cm までの茶色の破線は、喉頭蓋管を 0.3 cm² に狭めた設定を表す。
  • 声道・鼻腔分岐モデル:咽頭・口腔の形状には MRI で計測された成人男性の母音「ア」の断面積データ(Story 2008)を使用しました。声門から 8.54 cm(中咽頭上部)の咽頭鼻腔ポートで口腔側と鼻腔側の 2 つの枝に分岐する伝送線路モデルを構成し、鼻腔側(全長 12.6 cm、外鼻孔は左右合わせて 0.5 cm²)は Fant(1960)、Stevens(1998)、Dang, Honda & Suzuki(1994)に基づき、上咽頭(約 2 cm)から先を鼻中隔で左右の鼻の通り道に分け(鼻甲介のところで右 60 %・左 40 % の非対称)、鼻甲介による壁面周長倍率(円管の 4.0 倍)の音響損失を組み込んでいます。副鼻腔は、左右の上顎洞(片側 15 cm³)・前頭洞(4 cm³)・蝶形洞(4 cm³)を 1 つずつヘルムホルツ共鳴器としてそれぞれの側につなぎました(共振周波数 約 490・700・980 Hz。Dang & Honda 1996 が人の鼻腔で測った反共鳴の範囲に入ります。Pruthi ら 2007)。鼻への通り道を開く条件では、軟口蓋が下がることで口腔後部の通路が狭くなる効果も、簡略化して含めています。
  • 経軟口蓋結合モデル:軟口蓋が閉じた状態で口蓋を介して鼻腔側に音が伝わる仕組みを、Dang & Honda(1996)の考え方を参考にした簡略モデルで計算しました。採用した物性値と原典の等価インピーダンス式との換算・対応は追加の照合が必要で、鼻や顔の振動感覚そのものを検証したものではありません。
  • 声帯モデルと音声合成:声帯の三質量モデルに気管(声門下)と上記の分岐声道モデルを結合し、肺圧 0.8 kPa・基本周波数約 177〜180 Hz で時間領域シミュレーションを行い、口唇と外鼻孔から出る体積速度を合計し、その時間微分を放射音の近似として音声波形を生成しました。4 音声は共通の倍率で書き出し、モデル内の相対的な音量差を残しています。

なお、鼻腔や副鼻腔の形状には大きな個人差(左右非対称性や粘膜の腫れ具合など)があるため、反共鳴の谷ができる正確な周波数は人によって異なります。本記事のグラフは、鼻腔分岐によって生じる物理的な「変化の傾向」を示すために用いています。

本記事で使用した Voick Voice Simulator v1.0 のモデル構成、既存研究との照合結果、計算条件と適用範囲は、次の方法記事にまとめています。

Voick Voice Simulator v1.0:構成・検証・適用範囲使用したモデルと設定、検証できたこと、実際の発声や練習効果について未検証の範囲を説明します。

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