
発声練習の「アー」なら気持ちよく出る高さなのに、いざ曲の中で「きみ(i)」とか「ずっと(u)」みたいな歌詞になった瞬間、急に喉が締まって苦しくなる……。
歌が好きな方なら、一度はこういう「特定の母音だけ高音が出ない問題」にぶつかったことがあるのではないでしょうか。
「自分の喉の筋力が足りないのかな?」「力んでいるせいかも」と思いがちですが、実はこれ、喉や声帯だけの問題ではありません。口の中の形、つまりどの母音で声を出すかという物理的な条件そのものが大きく関わっています。
この記事では、なぜ「イ」や「ウ」だと高音が苦しくなりやすいのか、次の流れで掘り下げていきます。
- まずは自分の声とシミュレーション音声で、「イ」と「ア」の違いを体感する
- 母音ごとに決まっている「響きやすい高さ(F1)」と声の高さの関係を知る
- 声の通り道の空気が、声帯の振動を「後押し」してくれる仕組みを知る
後半では、この仕組みを逆手に取った高音練習のコツも紹介するので、ぜひ普段のボイトレやカラオケに役立ててみてください。
まず試してみよう:「イ」「ウ」と「ア」の出し比べ
理屈に入る前に、まずはご自身の声で試してみるのが一番わかりやすいです。今声を出せる環境にある方は、ちょっと一緒にやってみてください。
最初は、自分がラクに出せる低めの音からスタートします。同じ音の高さのまま、「イー」と「アー」を 2 秒ずつ交互に出してみましょう(「ウー」と「アー」でもOKです)。
そこから、半音ずつキーを上げていきます。男性なら「レ〜ソ(D4〜G4)」、女性なら「ファ〜ラ(F4〜A4)」あたりまで上がっていくと、だんだん母音による差が顔を出してきます。
- 「イ」や「ウ」のほうが早い段階で、喉の奥がキュッと詰まる感じがする
- 「イ」や「ウ」のほうが先に限界がきて、裏声にひっくり返りそうになる
- 苦しい高さでも、そのまま口を開けて「ア」に変えると少しラクに出る
いかがでしょうか。もちろん感じ方には個人差があって、たとえば「ウ」は裏声(ファルセット)に入りやすい母音なので、「裏声に逃がすならむしろ『ウ』のほうが歌いやすい!」と感じる方もいます。今回ここで注目したいのは、あくまで「地声の響きを保ったまま高音へ上げようとしたとき」の苦しさです。
喉に痛みや引っかかりを感じるときは、無理に高音を張り上げないようにしてください。
シミュレーション音声で聞き比べる
「自分の声だと、ただ苦手な意識があって力んでいるだけかも?」と思うかもしれないので、今度は人間ではなく、コンピューターの物理シミュレーションで作った声でも聞き比べてみましょう。
下の 4 つの音声は、声帯の振動と声の通り道(声道)の共鳴をプログラム上で計算して鳴らしたものです(人間の声を録音したものではないので、少しロボットっぽい独特な音がしますがご容赦ください。詳しい計算条件は記事の最後にまとめています)。聞き比べやすいように、4 つの音量はすべて同じにそろえてあります。
まずは低い音(約 177 Hz)の「イ」と「ア」です。
続いて、高い音(約 321 Hz)の「イ」と「ア」を聞いてみてください。
聞いてみると、3 つ目の「高い『イ』」だけ、急にモコモコっとこもったような、芯の抜けた音色になっていませんか?
プログラム上の設定では、低い音のときよりもむしろ強い息の圧力をかけているのですが、それでも高い「イ」だけこんなふうに頼りない音になってしまうんです。なぜこんなことが起きるのか、そのカラクリを見ていきましょう。
母音によって「声の通り道」の形が変わる
そもそも私たちの声は、喉にある声帯が振動して生まれ、喉から口の中を通って外へ出ていきます。この「声帯から唇までの空気の通り道」のことを、専門用語で声道(せいどう)と呼びます。
私たちが「イ・ウ・ア」と母音を変えるとき、口の中では舌やあご、唇が動いて、この声道の形がガラッと変わります。頭を真ん中で縦に割って横から見た断面図で見比べてみましょう。水色になっている部分が、声道の空気の通り道です。

左の「イ」と真ん中の「ウ」は、舌が上あごに向かって高く盛り上がり、口の中の通り道がかなり狭くなっています。反対に、右の「ア」はあごと舌が下に降りて、口の中に広い空間ができていますよね。
ここでポイントになるのが、声道は単なる「通り道」ではなく、管楽器の筒や空き瓶と同じように「形に応じた特定の高さの音を共鳴させる(響かせる)性質」を持っているということです。
この「声道が特に響きやすい音の高さ(周波数)」をフォルマントと呼び、いくつかあるフォルマントの中で一番低い周波数にあるものを第 1 フォルマント(F1)と呼びます。
※声帯で生まれる音とフォルマントの基礎については、こちらの記事で詳しく解説しています。
歌声の生成の仕組み「響きやすい高さ(F1)」は母音ごとに違う
母音によって口の中の形が変わるということは、当然この「F1(響きやすい高さ)」も母音ごとに変わってきます。実際に日本語の 5 つの母音で F1 が何 Hz くらいなのか、計測された研究データ(Yazawa & Kondo 2019、東京方言話者の男性 8 名・女性 8 名の平均)を見てみましょう。
| 母音 | 男性の F1 | 女性の F1 |
|---|---|---|
| イ | 301 Hz | 346 Hz |
| ウ | 348 Hz | 434 Hz |
| エ | 443 Hz | 516 Hz |
| オ | 462 Hz | 526 Hz |
| ア | 687 Hz | 801 Hz |
数字を見比べると、母音によってずいぶん差があるのがわかります。口が大きく開く「ア」は 700〜800 Hz 近くまで高いのに対して、口の中が狭い「イ」や「ウ」は 300〜430 Hz あたりと、かなり低い位置にあります(ちなみに女性のほうが全体的に数値が高いのは、男性より声道の長さが短いためです)。
では、これが歌うときにどう影響してくるのでしょうか。私たちが歌うときの声の高さ(基本周波数 F0:声帯が 1 秒間に振動する回数)と、各母音の F1 の位置を重ねてみたのが次の図です。
横軸が周波数(音の高さ)で、点がそれぞれの母音の F1 です。そして背景に塗られている色付きの帯(`Register change` や `Upper change`)は、地声から裏声などへ声が切り替わりやすい音域、いわゆる換声点(パッサージョ)のおおよその範囲を示しています(Henrich 2006)。
低い声から順番にキーを上げていく(図の左から右へ進んでいく)と、男性でも女性でも、真っ先にぶつかるのが「イ」と「ウ」の F1 なんです。しかも厄介なことに、その周波数はちょうど換声点のゾーンとドンピシャで重なっています。
※換声点の高さは個人の声種や歌い方によっても変わりますが、「声区」や「換声点」の仕組みについて詳しく知りたい方はこちらの記事もあわせてどうぞ。
声区について声の高さが F1 に近づくと、急に出しにくくなる
ここで、「あれ? でも F1 って『声道が響きやすい高さ』なんだよね? だったら声の高さが F1 に重なったら、むしろよく響いてラクに出るんじゃないの?」と思った方もいるかもしれません。
実はここが声の面白い(そして難しい)ところで、声の高さ(F0)が F1 に近づきすぎると、かえって声帯がうまく振動できなくなってしまうのです。
この現象を見るために、まずは声に含まれる倍音(ばいおん)に注目してみましょう。私たちの声は 1 つの純粋な音ではなく、声の高さを決める一番低い音(基本周波数 F0=第 1 倍音)の上に、2 倍、3 倍、4 倍……の高さの音(倍音)が重なってできています。
音の物理の基礎先ほど聞いたシミュレーション音声のうち、「低い『イ』」と「高い『イ』」がどんな倍音でできているか、周波数ごとの強さ(スペクトル)をグラフにして並べてみます。
左の「低い音(約 177 Hz)」を見ると、ギザギザした倍音の山が細かく並んでいて、`F1`(赤い破線)の近くにも、もっと高い周波数にも倍音がたっぷり含まれています。
ところが右の「高い音(約 321 Hz)」を見ると、一番左の山(声の高さ F0 そのもの)が `F1` の赤い破線にピタッと迫っている一方で、それより右側の高い倍音がガクッと落ちてしまっています。計算の中身を覗いてみると、このとき声帯はほとんど閉じきらない状態になっており、声に芯やハリを与える倍音がうまく作れなくなっていました。さっき「高い『イ』」を聞いたときにモコモコとこもった音に聞こえたのは、まさにこれが原因です。
さらに決定的なのが、次のグラフです。声の高さ(横軸 `Pitch, F0`)を上げていったときに、声帯の振動をキープするのにどれくらい息の圧力が必要か(縦軸)を、「イ・ウ・ア」の 3 つで計算して比較しました。
F1 が約 700 Hz と高い場所にある「ア(オレンジの線)」は、300 Hz、400 Hz と高音に上がっていっても、必要な息の圧力はなだらかにしか増えません。
ところが「イ(青)」と「ウ(緑)」を見てください。300 Hz を超えてそれぞれの F1(縦の破線)の手前に近づいた瞬間、必要な息の圧力が壁にぶつかったように跳ね上がっています。しかもこのシミュレーションでは、本来なら声帯を引き伸ばすほど声が高くなるはずなのに、「イ」と「ウ」では F1 のすぐ手前でピッチが頭打ちになり、それ以上なめらかに音程を上げること自体ができなくなってしまいました。
これはコンピューターの中だけの話ではありません。実際にプロのテノール歌手 6 名が換声点をまたいで音階を歌った実験でも、「ア」で歌ったときのほうが、「イ」や「ウ」よりも声帯の振動が安定していたことが報告されています(Echternach ら 2017)。
上のグラフは、声帯と声道を単純化した物理モデルで計算したものです。数値そのものは人によって異なりますが、「声の高さが母音の F1 に近づくと、急に声帯を鳴らしづらくなり、強い息の圧力が必要になる」という傾向がよく表れています。
もっと詳しく:声道の空気が、声帯を「後押し」する
ここは少し物理・音響のマニアックな話になります。「理屈より早く練習方法を知りたい!」という方は、そのまま次の「練習のヒント」まで飛ばして読んでいただいても大丈夫です。
それにしても、なぜ F1 を境目にして、こんなにも声帯が鳴りにくくなるのでしょうか? そのカギを握っているのが、声道の中にある空気の重さ(慣性)です。
「空気に重さなんてあるの?」と思うかもしれませんが、自転車でスピードを出すと風圧を感じるように、空気にもわずかな質量(重さ)があります。そして重さのあるものには、「止まっている状態から急には動き出せないし、一度動き出したら急には止まれない」という性質(慣性)があります。
実はこの「空気の慣性」が、普段私たちが声を出すとき、声帯の振動を裏でめちゃくちゃ手伝ってくれているんです。
まず、声帯がパッと開いて肺から息が飛び出そうとするとき。声道(喉から口)にたまっている空気は慣性ですぐには動けないため、声帯のすぐ上でグッと圧力が高まり、その圧力が声帯を押し広げるのを助けてくれます。逆に、声帯が閉じようとするときは、前へ流れ続けようとする空気が後ろ側を引っ張ってくれる(声帯の間の圧力が下がる)ので、声帯がキュッと吸い寄せられて閉じやすくなります。
イメージとしては、ブランコを揺れのタイミングに合わせて背中からポンと押してもらうような感覚です。声道の空気が、声帯の振動に「追い風」を送ってくれているわけですね。
ところが、このありがたい「追い風」が吹くのは、声の高さ(F0)が F1 より低い間だけなのです。声の高さが F1 を超えてしまうと、声道の空気は「重り(慣性)」ではなく「ばね」のように振る舞うようになり、圧力変化のタイミングが声帯の動きとズレてしまいます。ブランコが戻ってくるところに正面からぶつかられるようなもので、これまでの「追い風」が一転して「向かい風」に変わってしまうのです。
上の模式図を見るとわかるように、声の高さが F1 に近づくまでは「追い風(左側の緑・`Tailwind`)」がどんどん強まって声帯を助けてくれるのですが、F1 のラインをまたいだ瞬間に、一気に「向かい風(右側の赤・`Headwind`)」へと急落します。
ただ、この図はイメージをつかむために形だけを描いた模式図です。そこで、この記事のシミュレーションで実際に使ったイ・ウ・アの声道で、声道からの後押しを計算してみました。
どの母音でも、低い音では後押しがプラス(追い風)で、それぞれの F1 のところでマイナス(向かい風)に切り替わっています。アでは切り替わりが約 700 Hz とずっと上にあるのに対して、イ・ウでは約 330〜350 Hz。歌でよく使う高さのど真ん中で、追い風が向かい風に変わってしまうのです(縦軸は、アの F1 のまわりで大きく振れる値も収まるように縮めて描いています)。
これは音声科学研究者の Ingo Titze が 2008 年にまとめた理論(音源と声道の非線形相互作用)で説明されている仕組みです。声の高さ(F0)や強い倍音がこの F1 の境目をまたぐとき、声帯の振動が不安定になったり、地声から裏声へクルッとひっくり返ったりしやすくなります。「イ」や「ウ」はもともと F1 が低いため、ちょうど換声点のあたりでこの「追い風から向かい風への急変」に直撃してしまうのです。
ちなみに、「じゃあ F1 が高い『ア』ならずっと安心なのか」というと、実はそういうわけでもありません。声の高さ(F0)そのものが F1 に届く前でも、2 倍の高さの倍音(第 2 倍音)が「ア」の F1 をまたぐ音域(F1 の半分の周波数なので、350〜400 Hz あたり)では、同じように声の乱れや換声点特有の難しさが顔を出します。
さらに、声帯の断面をより細かく再現したシミュレーション(連続体モデル)でも実験してみたところ、面白い現象が見られました。「イ」や「ウ」では、音程を変えようとして声帯を引き伸ばしたり緩めたりしても、声の高さ(F0)が F1 の近くに磁石のように吸い寄せられて張り付き、うまく動かなくなったのです。そして、その F1 の縛りから外れた瞬間に、音程がピョンと大きく跳び上がりました。高音で「喉が固まって音が上がらない感じ」や「急に裏声へひっくり返る感じ」とそっくりな挙動です(ただし、このモデルでは F1 への引き寄せが実際の人間より強く出すぎている可能性もあるため、ここでも「そういう傾向がある」という点だけ押さえておいてください)。
練習のヒント
ここまでのカラクリがわかると、「イ」や「ウ」の高音を攻略するための作戦がハッキリ見えてきます。狙うべきは、「F1 を高くして、声の高さとぶつかる位置を上に逃がすこと」、そして「声道からの追い風(後押し)を強めること」の 2 つです。
1. 口を縦に開けて、F1 を引き上げる
たとえば高音で「イ」を発音するとき、普段しゃべるときのように口を横に引いて、上下の歯を閉じ気味にしていませんか? そのままだと口の中が狭くなり、F1 が低いままになってしまいます。
あごをラクに下げて口を縦に開けると、口の中の空間が広がり、F1 の周波数が高くなります。F1 が上にずれれば、そのぶん高い音まで「追い風」を受けたまま歌えるようになります。母音を少し開き気味にすると、高音でも地声に近い力強い響きを保ちやすいことも指摘されています(Titze 2007)。
プロの歌手が実際にどんな口の開け方をしているかは、こちらの記事で詳しく分析しています。
口の開き方で、歌声が変化する?2. 換声点付近では、母音を少し「エ」「オ」に寄せる
「口を縦に開けても、やっぱり歌詞の『イ』や『ウ』で詰まる……」というときに効果的なのが、母音を少しだけ隣の母音にブレンドするテクニック(母音調整)です。
具体的には、苦しくなりやすい高音で、「イ」なら少し「エ」寄りに、「ウ」なら少し「オ」寄りに発音してみます。たとえば「きみ(kimi)」の「み」を、ほんの少しだけ「め」の響きが混ざったような「イ」で歌うイメージです。前の表で見たように、「エ」や「オ」は「イ」「ウ」よりも F1 が高い母音なので、少し寄せるだけでも F1 を引き上げることができます(やりすぎて本当に「きめ」に聞こえてしまうと不自然なので、歌詞として自然に聞こえるギリギリの範囲を探るのがコツです)。
実はプロの歌手も、高音では無意識または意識的にこの調整を行っています。たとえばクラシックのソプラノ歌手は、高音になるにつれて口を大きく開け、声の高さ(F0)に追い越されないよう F1 を一緒に引き上げていることが計測されています(Joliveau ら 2004)。また、男性歌手では 2 倍・3 倍の倍音に合わせて F1 を調整するケースが多く報告されています(Henrich ら 2011)。まずは自分の耳と喉の感覚で、「少し母音を寄せるとラクになるか」を試してみてください。
3. ストロー発声・リップロールで「追い風」を強める
ボイトレの定番である、細いストローをくわえて声を出す「ストロー発声」や、唇をブルブル震わせる「リップロール」も非常に有効です。
ここで鋭い方は、「あれ? さっき『イ』や『ウ』は口の中が狭いから苦しくなるって言ったのに、唇を狭くするリップロールはなんでラクになるの?」と疑問に思うかもしれません。実は、舌で口の中の途中を狭くするのと、一番出口である「唇(やストローの先)」を狭くするのとでは、音響的な働きが違います。出口を細く絞ると、声道全体の空気が「重り(慣性)」として働く領域がグッと広がり、幅広い音域で声帯に「追い風」が吹き続ける状態を作れるのです(Titze 2006)。まずリップロールで力まず高音へ上がる感覚をつかんでから、普通の母音での歌唱につなげてみましょう。
リップロールの効果とは?完全5度リップロール4. 「ア」で高音を出してから、同じ高さで「イ」「ウ」に変える
練習するときにおすすめなのが、いきなり苦手な「イ」や「ウ」で高音にアタックするのではなく、まず出しやすい「ア」でその高音を出してから、一息のまま「アー → イー」「アー → ウー」と母音だけを切り替える方法です。
やってみると、最初は「アー」から「イー」に変えた瞬間にグッと喉が締まったり、声が裏返ったりすると思います。そこで、先ほどの 1〜3 の工夫(縦に開ける・少しエやオに寄せる)を取り入れながら、「アのときの喉のゆとり」をキープしたまま「イ」「ウ」に移れるポイントを探ってみてください。
Voick アプリには、母音を変えながら音階を上げ下げしてこの感覚を養えるレッスンも用意されています。
各母音ウォーミングアップ母音トータルレッスン本記事のポイント
- 母音によって声道の形が変わり、「響きやすい音の高さ(第 1 フォルマント:F1)」も変わる。「イ」「ウ」は F1 が低く、「ア」は F1 が高い
- 声の高さ(F0)を上げていくと、真っ先に「イ」「ウ」の低い F1 にぶつかる。しかもその高さは、声が裏返りやすい「換声点」と重なりやすい
- 声の高さが F1 に近づき、さらに F1 を超えると、声道の空気による声帯への「追い風(後押し)」が失われて「向かい風」に変わり、急に声が出しにくくなる
- 「口を縦に開ける」「母音を少しエ・オに寄せる」「リップロールやストロー発声を取り入れる」といった工夫で、F1 を上に逃がしたり声道の追い風を強めたりできる
シミュレーションについて
本記事で使用したシミュレーション音声およびグラフの計算は、Voick Voice Simulator v1.0 を用いて行いました。
シミュレーションでは、声帯から唇までの空気の通り道(声道)を、中心の線に垂直に細かく輪切りにして、1 枚ずつの断面積の並び(断面積関数)として表します。

上の図は、イメージしやすいように 3D モデルの声道を輪切りにしたものです。計算そのものには、MRI で測った声道の断面積(下のグラフ)を使いました。
イ・ウはのどの側が広く、舌が盛り上がる口の中が細くなっています。アは逆に、のどの側が狭く、口の中が広くなっています。この形の違いが、母音ごとの F1 の違いを生んでいます。
- 声道モデル:MRI で計測された成人男性 1 名の声道断面積データ(Story 2008)をもとに作成しました。「イ」「ア」はその形状をそのまま使い、英語と違って唇を丸めない日本語の「ウ」については、日本語話者の実測値(Yazawa & Kondo 2019 の F1・F2)に一致するよう声道の形状を構成しています。また、声道の壁の振動・空気の粘性や熱・唇からの音響放射によるエネルギー損失も組み込んでいます。
- 声帯モデル:声帯を 3 つの質量とばねで表す物理モデル(三質量モデル)を使い、声道および気管(声門下)とつないで時間領域で計算しました。また、「イ」「ウ」で F1 付近に声の高さが張り付く現象については、声帯の断面を細かい網目(メッシュ)で表す「連続体モデル」でも確認しています。
- シミュレーション音声:計算で得た唇から出る空気の流れ(体積速度)の時間微分を、放射音の近似として使用しました。立ち上がりの 0.3 秒を除き、4 音声の実効値(RMS)をそろえて、音色を比較できるようにしています。
なお、このシミュレーションには以下のような前提と限界があります。
- 声道の形状は成人男性 1 名のデータに基づくもので、「ウ」以外は英語話者の母音の MRI データを使用しています。
- 三質量モデルは構造を単純化しているため、実際の人間で見られるような明確な「地声と裏声の切り替わり」までは再現できません。一方、連続体モデルでは声区の切り替わりを再現できるものの、声の高さ(F0)が F1 に引き寄せられる力が実際より強く出すぎている可能性があります。
- 発声に必要な息の圧力(発声閾値圧)は、一定時間の計算の中で声帯の振動が持続するかどうかを基準に算出しています。
- そのため、グラフの数値そのものが実際のすべての人にそのまま当てはまるわけではありません。本記事では、あくまで母音による物理的な「変化の傾向」を見るために用いています。
本記事で使用した Voick Voice Simulator v1.0 のモデル構成、既存研究との照合結果、計算条件と適用範囲は、次の方法記事にまとめています。
Voick Voice Simulator v1.0:構成・検証・適用範囲使用したモデルと設定、検証できたこと、実際の発声や練習効果について未検証の範囲を説明します。参考文献
- Titze IR (2008). Nonlinear source–filter coupling in phonation: Theory. *J Acoust Soc Am*, 123(5), 2733–2749.
- Titze IR (2006). Voice training and therapy with a semi-occluded vocal tract: Rationale and scientific underpinnings. *J Speech Lang Hear Res*, 49(2), 448–459.
- Titze I (2007). Falsetto register and vowels. *Journal of Singing*, 63(4), 441–442.
- Story BH (2008). Comparison of magnetic resonance imaging-based vocal tract area functions obtained from the same speaker in 1994 and 2002. *J Acoust Soc Am*, 123(1), 327–335.
- Yazawa K, Kondo M (2019). Acoustic characteristics of Japanese short and long vowels: Formant displacement effect revisited. *Proceedings of the 19th International Congress of Phonetic Sciences*, Melbourne.
- Henrich N (2006). Mirroring the voice from Garcia to the present day: Some insights into singing voice registers. *Logopedics Phoniatrics Vocology*, 31(1), 3–14.
- Echternach M, et al. (2017). The influence of vowels on vocal fold dynamics in the tenor's passaggio. *J Voice*, 31(4), 424–429.
- Joliveau E, Smith J, Wolfe J (2004). Vocal tract resonances in singing: The soprano voice. *J Acoust Soc Am*, 116(4), 2434–2439.
- Henrich N, Smith J, Wolfe J (2011). Vocal tract resonances in singing: Strategies used by sopranos, altos, tenors, and baritones. *J Acoust Soc Am*, 129(2), 1024–1035.
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